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『自転車に乗る漱石 百年前のロンドン』は英文学者、清水一嘉のエッセー集である。夏目漱石がロンドン滞在の一年目(1901年)に記した日記の記述を手がかりに、その背景にある当時のイギリスの出来事や社会風俗を解説するとともに、漱石の人物像やロンドン生活を描こうとするものである。24の章からなり、雑誌『英語教育』に連載されたものなどを加筆再構成したものである。2001年、朝日選書から出版された。 ==各章概説== *1.鳶色の霧 *「倫敦ノ町ニテ霧アル日、太陽ヲ見ヨ。黒赤クシテ血ノ如シ。鳶色ノ地ニ血ヲ以テ染メ抜キタル太陽ハ此地ニアラズバ見ル能ハザラシ」(1月3日の日記)。ロンドンの冬の霧(スモッグ)にまつわる話で、同時期にロンドンに滞在し、イギリスで有名になった詩人の野口米次郎や画家、牧野義雄が紹介される。 *2.ヴィクトリア女王死す * 1月末、ヴィクトリア女王が没し、国葬が行われた。大英帝国始まって以来、何10万人の人々を集めた国葬の様子が紹介される。 *6.古本屋めぐり *漱石が留学費の1/3を書籍の購入にあてて、5~600冊の書籍を購入したとされる。1893年に出版された書店・出版社の辞典から漱石の日記に書かれた古書店を調べ、紹介する。 *9. 漱石「入浴ス」 *漱石が渡英した頃、ロンドンでは慈善家の援助を受けて自治区の管理運営で「公衆浴場」と「洗濯場」が普及していたことが紹介される。 *11.「下宿ノ飯ハ頗ルマズイ」 *漱石が下宿したブレット家はそれまで多くの日本人が下宿した家であるが、下宿人が少なくなると経営が苦しくなって食事の質も低下した。漱石の留学費用やその使い道と、下宿の経営費用が検討される。 *14.「ペンガ饒舌リダシタ」 *下宿したブレッド家の女中、ペンがロンドンの方言(コックニー)で話かけてくるのに、漱石は辟易する。イギリスの雑役女中の生活が紹介される。 *15.「小便所ニ入ル」 *漱石の日記は、1ページに一週間分の日付が印刷された16.6cm×10.7cmの小さい日記帳に、「蠅頭の細字」で書かれており全集の編集者にも判読の難しい箇所が見られる。筆者はこの箇所を「小使所」(女中部屋)と読んで、何か食べ物を探しに女中部屋に入ったと考える。ロンドンで暇さえあれば散歩していた漱石の食欲について書かれる。 *16. 絵葉書を子規に送る。 *イギリスの逓信省が葉書を発行したのが1870年で、1872年に葉書の個人発行が認められ、1890年代には絵葉書が発行され、1900年代にはカラー印刷の絵葉書が出回るようになり、コレクターも表れ、絵葉書ブームが発生した。漱石も魅力的な絵葉書をつぎつぎに日本に送ったとされる。 *21.「女ノ酔漢ヲ見ルハ珍シクナイ」 *18世紀終わりには、パブリック・ハウスは大衆酒場を指すものになった。場末のトゥーティングに移った漱石が目にしたのは劣悪な環境に暮らす下層の労働者階級の飲酒におぼれる姿であった。ほぼ同時期にロンドンを訪れた、ジャック・ロンドンのルポルタージュ、『奈落の人びと』から当時の下層階級の生活が紹介される。 *22 自転車に乗る漱石 *漱石はロンドン滞在2年目には日記をつけなかったが、帰国後「自転車日記」というエッセーを書いた。漱石が自転車にのる練習に悪戦苦闘ぶりが描かれる。1890年代に「安全自転車」と空気タイヤが発明されてイギリスでサイクリング・ブームが起きたことが紹介される。部屋に閉じこもり神経衰弱気味となった漱石を気分転換させるために下宿の婆さんの勧めで自転車を練習し、スコットランドまで小旅行をでかけるまでになったとされる。漱石は帰国してからは自転車に乗ろうとしなかったが、その理由を漱石にとっての自転車はロンドン時代の神経衰弱などの屈辱を思い起こさせるものであったからだと筆者は推定する。さらに自転車の流行はジョージ・バーナード・ショーやレナード・ウルフなどのイギリスの思想家に新しい世界を開き、女性サイクリストたちが女性解放運動を加速させたという見方が披露される。 *23 「ラスキンノ遺墨ヲ見ル」 *漱石がロンドンに着いた年に没した風景画家、ジョン・ラスキンについて紹介され、漱石のスコットランド旅行の動機が考察される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「自転車に乗る漱石 百年前のロンドン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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